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名所めぐりは過去に行ったことのある土地の紹介です。
名所めぐり
どこへ行ったのか忘れてしまうので
独遊庵の名所めぐり
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鶴岡八幡宮
相模国 神奈川県鎌倉市雪ノ下2丁目1−31
始まりは、鎌倉幕府を築いた
源頼朝公
の祖先
源頼義
が、京都の
石清水八幡宮
を
勧請
(神様の御分霊を他の地に還し祀ること)したことです。頼義は石清水八幡宮を篤く信仰しており、源氏の氏神として八幡神を鎌倉の由比ヶ浜辺に祀りました。
その後、
源頼朝公
が現在の地にお還しし、鶴岡八幡宮の基礎を造りました。
鎌倉幕府を開いた源頼朝にゆかりが深く、鎌倉を代表する神社として知られています。
本宮は大石段上にある。大石段は61段あり、登りきると桜門、その奥に拝殿とつながった本宮がある。石段下にある舞殿は、「下拝殿」ともいう。
前面にある建築物は21世紀に入ってから増築されたもので、当初は朱塗りではなく白木造りであった。
また、境内入口には源頼朝が臨時別当の専光房良暹と大庭景義に命じて掘らせた「源平池」と称する、左右2つに分かれた池がある。源氏池には島が3つ、平家池には島が4つ浮かび、それぞれ産(三)と死(四)を表すという。源氏池の島には旗上弁天社がある。
源氏池と平家池を繋ぐ水路には石造の橋が架けられ「太鼓橋」と称される。創建当時は木造で、朱塗りだったことから「赤橋」と呼ばれた。北条氏の庶流・赤橋家の苗字はこの橋の名称に由来する。太鼓橋の左右には一般参拝者が通行可能な橋があり、赤橋の名を受け継ぐかの如く、赤く塗られている。
御祭神:
「応神天皇」
、
「神功皇后」
、
「比売神」
の三柱の神様を御祭神としてお祀りしている
別名: 鎌倉八幡宮
創建: 康平6年(1063年)
札所等: 鎌倉江の島七福神(弁財天);
西山国師遺跡霊場
客番
社格等
:延喜式神名帳 式外社・近代社格制度/
国幣中社
・別表神社・鎌倉二十四社
ご利益:
源頼朝と北条政子というおしどり夫婦にちなんで、縁結びや良縁のご利益があるとされています。また、源頼朝が武人として成功したことから、勝負運や出世運のご利益があるとされています。
2001年
今は無い大銀杏
関連とご近所
勧請
(かんじょう)とは、神仏の来臨を祈り願うことや、神や仏の分霊(わけみたま)を別の場所に移して新しくお祀りすることを指します。もともとは仏教用語で、仏に対して「人々のために教えを説いてください」と乞い願うことを意味していました。
日本の歴史において神仏習合が進むと、神社や寺院で神仏の霊を招き寄せる行為全般を指すようになりました。
分霊を迎え入れて祀ること(神社や寺院)遠くにある神社や寺院のご祭神・ご本尊の「分霊(わけみたま)」を、別の土地に建てた社殿や寺院に招き入れてお祀りすることです。
源頼朝
は、鎌倉幕府を開いた初代将軍であり、高いリーダーシップで源氏や東国の武士をまとめ上げ、平家を滅ぼし、武家政権の基礎を築いた人物です。平治の乱で父を失った後、伊豆に流されてから約20年を経て挙兵し、鎌倉を拠点に勢力を拡大しました。
源頼義
(みなもとのよりよし)は、父である源頼信と共に平忠常の乱を鎮圧し、前九年の役で安倍氏を討伐して、源氏の東国における勢力の基礎を築きました。また、鎌倉に石清水八幡宮を勧請し、源氏の氏神として源頼朝の代に鶴岡八幡宮となる基礎を作りました。
建長寺
円覚寺
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