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名所めぐりは過去に行ったことのある土地の紹介です。

どこへ行ったのか忘れてしまうので独遊庵の名所めぐり

赤間神宮(あかまじんぐう)長門国山口県下関市阿弥陀寺町4−1

壇ノ浦の戦いにおいて入水した幼い安徳天皇を祀る。 江戸時代までは安徳天皇御影堂といい、仏式により祀られていた。平家一門を祀る塚があることでも有名であり、前身の阿弥陀寺は『耳なし芳一』の舞台であったが、廃仏毀釈により神社となり現在に至る。

下関の阿弥陀寺(あみだじ)は、壇ノ浦の戦いで入水した安徳天皇を祀る現在の赤間神宮のことです。
壇ノ浦の戦い 1185年(寿永4年)、現在の下関市・壇ノ浦周辺で、 源氏 vs 平氏 の最終決戦が行われました。 この戦いで平氏が敗北し、 安徳天皇が入水 します。 これによって、 平家は滅亡 しました。
→ 仏寺 → 天皇陵 → 神社 → 神宮という、極めて特異な変遷をたどった神社。
同寺は有名な怪談「耳なし芳一」の舞台としても知られ、水にまつわる水難守護や水商売繁盛の利益があるといわれています。安徳天皇の御陵も赤間神宮の境内にあり、玉垣と土塀に二重に囲まれた円墳として残っています。
阿弥陀寺の始まり:阿弥陀寺は、壇ノ浦の合戦で入水した幼い安徳天皇を祀る寺として、赤間神宮の前身となりました。

● 創建の背景
1185年 壇ノ浦の戦いで平家滅亡、安徳天皇が入水 その御霊を慰めるため、鎌倉時代に阿弥陀寺として創建(仏式)
● 神仏分離後の変遷
明治の神仏分離で阿弥陀寺が廃され、天皇社 → 赤間宮 → 赤間神宮へ改称 1940年:官幣大社に昇格 1965年:戦災で焼失後、現在の社殿が再建

  • 境内の主要スポット
    ● 安徳天皇阿弥陀寺御陵 壇ノ浦の戦いで命を落とした安徳天皇の御陵で、西日本で唯一の御陵とされています。陵は円墳で、玉垣と土塀で二重に囲まれ、陵内には立ち入ることはできません。
    ● 七盛塚(平家一門の墓) 14名の供養塔 平家の怨霊鎮魂のため建立されたと伝わる
    ● 芳一堂(耳なし芳一) 小泉八雲『怪談』の舞台 芳一像が安置される
    ● 宝物殿 平家物語・源平合戦資料を展示
  • 主祭神: 安徳天皇
  • 社格等:延喜式神名帳 式外社
    近代社格制度 官幣大社
    現在 神社本庁別表神社
    旧称 阿弥陀寺・赤間宮
  • 創建: 貞観元年(859年)に阿弥陀寺として創建.明治維新後の神仏分離令により寺は廃止され、その後1940年に赤間神宮と改称された。シンボルの鮮やかな朱色の水天門は、竜宮城をイメージして建立
  • ご利益:安徳天皇が海で亡くなったことにちなみ、水難守護や海上安全のご利益があるとされています。また、水にまつわることから水商売繁盛にもご利益があるといわれています。

 


関連とご近所

  • 神社の格
  • 安徳天皇(アントクテンノウ):平清盛の孫で、1180年にわずか数え3歳で即位しました。平家が源氏との戦いに敗れ、壇ノ浦の戦いで壊滅した際、数え8歳で祖母二位の尼に抱かれて入水し、短い生涯を閉じました。
  • 昔話・耳なし芳一
  • 忌宮神社
  • 住吉神社
  • 門司港駅・福岡県
  • 門司港レトロ・福岡県