長く続いた末子相続は仁徳天皇によって中断され、仁徳天皇の長子である履中天皇の即位によって、長子相続が確立された。

生まれ: 西暦336年
死去: 西暦405年3月15日
子女: 市辺押磐皇子、 中磯皇女、 御馬皇子
両親:
仁徳天皇 、 磐之媛命
皇后: 草香幡梭皇女
歯並びがことのほか美しかった。又上背も9尺2寸と高く、容姿に恵まれていた。

履中(リチュウ)天皇がまだ、難波の宮殿に居たときのこと収穫祭の宴をしていたとき酔っ払って寝てしまった。
その時、弟の
墨江中王(スミノエノナカツミコ)が兄の履中(リチュウ)天皇を殺そうとして、宮殿に火をつけたその時、
阿知の直(アチノアタイ))が天皇を連れ出して馬に乗せ助けた。
多遲比野(タジヒノ)に到着したころで天皇が覚めたので墨江中王(スミノエノナカツミコ)が宮殿に火をつけたと伝えた。
道中、出会った少女が、武器を持った敵がみえるので遠回りしたほうがいいと助言をくれて
石上神宮(イソノカミジングウ)に逃れた。

ここに、下の弟の水歯別命(ミズハワケノミコト)(後の
反正天皇)が石上神宮に参上しお会いしたいと申し入れた。
履中(リチュウ)天皇は謀反をおこした弟の
墨江中王(スミノエノナカツミコ)と同じで、
水歯別命(ミズハワケノミコト)のことも信用できないので、今は会いたくないと言い、会いたければ
墨江中王(スミノエノナカツミコ)を殺してから来いと伝えた。
水歯別命(ミズハワケノミコト)はすぐに墨江中王(スミノエノナカツミコ)に仕えている
曾婆訶理(ソバカリ)に、自分が天皇になりお前を大臣にしてやるから、主人である墨江中王(スミノエノナカツミコ)を殺せと命じた。

曾婆訶理(ソバカリ)はそれに従い、自分の王がトイレに入るのを待って、矛で刺し殺した。
水歯別命(ミズハワケノミコト)は、曾婆訶理(ソバカリ)が自分のために手柄をたてたが、主人を殺すのは道義に反すると思い、手柄に報いた上で曾婆訶理(ソバカリ)を殺そうと考え、昇進祝いと称して宴会を開き、大きな盃で酒を飲ませ、顔が盃に隠れた瞬間に敷物に隠しておいた剣で首を斬り放した。
水歯別命(ミズハワケノミコト)は、禊(みそぎ)をしてから再度石上神宮(イソノカミカミノミヤ)に参拝して天皇に平定を成し遂げたと報告した。
履中天皇を祀る神社は、大阪府大阪市中央区にある高津宮です。高津宮は、履中天皇を主祭神として祀っており、
仁徳天皇や
応神天皇なども祀られています。
- 16代仁徳天皇
- 18代反正天皇(はんぜい)
- 阿知の直(あちのあたい)(阿智直)は、渡来系氏族・東漢氏(やまとのあやうじ)の祖とされる人物
- 墨江中王(すみのえのなかつみこ)は、仁徳天皇の皇子であり、履中天皇に対して反乱を起こした人物です。『古事記』では「墨江之中津王」と記され、兄弟間の権力争いの象徴的存在
- 水歯別命(みずはわけのみこと)は、第18代・反正天皇の和風諡号であり、仁徳天皇の第三皇子です。兄・履中天皇の即位後、反乱を起こした墨江中王を討ち取ることで忠義を示し、後に即位
- 曾婆訶理(そばかり)は、主に『古事記』に登場する古墳時代の隼人(はやと)で、仁徳天皇・反正天皇の時代に活躍し、主君の墨江仲皇子(すみのえのなかのみこ)を殺害した人物ですが、その後裏切られ斬殺された、という伝説上の人物
- 上石津ミサンザイ古墳(履中天皇陵)