| 開祖 | 鯖江の如覚(じょかく) |
| 本尊 | 木造阿弥陀如来坐像 弥陀如来(あみだにょらい)脇掛としては、右に九字名号(南無不可思議光如来)、左に十字名号(帰命尽十方無碍光如来)をおまつりします。 |
| 1212年に親鸞聖人が開いた草庵を起源とする浄土真宗の一派で、親鸞の弟子真仏、そしてその弟子了源の教えを直接受け継ぎます。 7世了源上人の時代に西日本で勢力を拡大し、阿弥陀佛光寺の寺号を賜り、1586年には豊臣秀吉の命で現在地に移転しました。 性別による差別なく女性も参画できる開かれた教団であり、本山が兵火で焼失した際には、真意尼公が再建を果たしました。 創始:1212年に親鸞聖人が山科に草庵を結んだのが起源とされていますが、真宗佛光寺派では親鸞の愛弟子の了源上人が中興の祖であると位置付けられています。了源上人の活躍:了源上人は教化活動の拠点とし、絵系図などを持ちいて西日本一帯に布教を広げました。この頃、光明本尊を用いたことでも知られ、真宗教団の中興の祖とされています。 寺号の授与:ご本尊が盗難に遭う事件が起きましたが、後醍醐天皇の夢に瑞光が現れたことで阿弥陀如来像が戻り、天皇から「阿弥陀佛光寺」の寺号が授けられました。 京都移転:了源上人の時代に現在の京都国立博物館のあたりに寺基を移転し、その後1586年に豊臣秀吉の命により、現在の京都市下京区の地に移転しました。 再建:江戸から明治への時代の激変期、元治の兵火で本山が焼失しましたが、当時の第二十七世真意尼公の尽力により再建され、現在の本山両堂などが完成しました。 開かれた教団:性別に関わらず教団護持に多くの女性が携わってきた歴史があり、開かれた教団としての特徴を持っています。 法灯の継承:親鸞聖人から真仏、了源、そしてその子孫へと法灯が受け継がれ、宗派として独自の教義や作法が発展しました。 脇掛について お仏壇の最上段、本尊である阿弥陀如来の両脇には、九字名号と十字名号をおまつりします。 右の脇掛(九字名号):「南無不可思議光如来」と書かれており、「私たち人間では思いもよらない(思議)大いなる仏様に帰依します」という意味です。 左の脇掛(十字名号):「帰命尽十方無碍光如来」と書かれており、「滞ることなく十方を照らし、どんな隅々の者までもお救いくださる仏様に帰依します」という意味です。 |
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| 本山 | 誠照寺(じょうしょうじ) |