古墳時代末期から飛鳥時代にかけて大和政権で強大な権力を握った豪族で、代々「大臣(おおまえつきみ)」を務め、仏教の受容を推進した一族。祖は武内宿禰とされ、蘇我稲目・馬子・蝦夷・入鹿らが著名。乙巳の変(645年)で本宗家は滅亡
古墳時代から飛鳥時代にかけて大和政権の権力を握った最も有力な豪族で、仏教の導入や大陸文化の受け入れを推進し、
物部氏を倒しました。大臣職を代々務め、皇室の外戚として権力を強化しましたが、645年の 乙巳の変で
中大兄皇子らに滅ぼされました。
出自と祖先
• 祖先:
武内宿禰(孝元天皇の後裔とされる伝承)
• 本拠地:大和国高市郡蘇我邑(現在の奈良県橿原市曽我町)を中心に、河内国石川郡を出自とする説もある。
• 皇別氏族として天皇家と深い血縁関係を持ち、外戚として権力を強めました。
歴史的役割
• 蘇我稲目:6世紀中頃に登場、仏教を積極的に受け入れ、
物部氏と対立。
• 蘇我馬子:
崇峻天皇暗殺、
推古天皇を擁立。
聖徳太子と協力し政治改革を推進。
• 蘇我蝦夷・入鹿:権力を世襲し、天皇家に匹敵する勢力を誇ったが、乙巳の変で
中大兄皇子と
中臣鎌足に討たれ滅亡。

仏教との関わり
• 仏教を推進し、飛鳥寺などの建立を主導。
•
物部氏が神祇信仰を重視して仏教に反対したのに対し、蘇我氏は仏教を国家の近代化に資するものと位置づけた。
• この対立は「仏教受容戦争」として知られ、蘇我氏の勝利が日本に仏教文化を根付かせました。
系譜と天皇家との結びつき
蘇我氏は政略結婚を通じて天皇家と深く結びつきました。
• 蘇我稲目の娘・堅塩媛は欽明天皇の夫人となり、その子が
推古天皇。
• 用明天皇や崇峻天皇も蘇我氏の娘を妃とし、
聖徳太子も蘇我氏の娘を妻としました。
→ 天皇家と蘇我氏は血縁的に密接であり、政治的正統性を強化しました。
- 中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)は、後の第38代天智天皇で、蘇我氏を滅ぼし「大化の改新」を主導した飛鳥時代の改革者です。父は舒明天皇、母は皇極天皇(斉明天皇)
- 崇峻天皇(すしゅんてんのう)は、第32代天皇で、在位は587年~592年。蘇我氏の台頭と権力闘争の中で即位し、最終的には蘇我馬子の命によって暗殺された悲劇の天皇
- 推古天皇(すいこてんのう)は、日本初の女性天皇で、第33代天皇。在位は592年~628年。飛鳥時代の幕開けを象徴する存在で、聖徳太子と協力して政治改革や仏教の普及を進めました。
- 中臣鎌足(なかとみのかまたり)は、飛鳥時代の政治家であり、後に藤原氏の祖となった人物です。乙巳の変(645年)で蘇我氏を滅ぼし、大化の改新を推進しました。