日本武尊(ヤマトタケル)の父として知られ、ヤマト政権の勢力拡大と地方統治の強化に大きな役割を果たした

生まれ: 紀元前13年
死去: 西暦130年
子女:
ヤマトタケル、 成務天皇、 大碓皇子、 五百城入彦皇子、 神櫛皇子 · 他御子は80柱
両親:
垂仁天皇
景行天皇は身長1丈(約3メートル)もの大男だった。
景行天皇は纏向(奈良県桜井市)で天下を治めた。
主に大和朝廷の地方統治と国家統一に尽力したとされています。特に、皇子の
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の活躍を通じて、大和朝廷の勢力範囲を拡大したことで知られています。
美濃の大根王オオネノミコの娘で、兄比売エヒメ・弟比売オトヒメという二人がとても美人だと聞いて、息子の
大碓命オホウス(ヤマトタケルの兄)に二人を召し寄せるように命じた。

ところがその乙女をオホウスが気に入り、景行天皇へは別によく似た乙女を差し出し、景行天皇が気に入った女性を自分のものとしてしまった。
しかし天皇は、差し出された二人があの美人ではないことを知って、ただ眺めるだけで一人で寝てしまい、二人は居心地が悪い思いをしていた。
そんな中、美人姉妹は
大碓命オホウスの子を出産した。
嘘をついて気まずくなった大碓命オホウスは、みんなで食べる朝食に顔を見せなくなってしまった。
景行天皇は、大碓命オホウスの弟の
小碓王オウス(ヤマトタケル)に「オオウスに食事は一緒にするものだと教えてくれ」と命じた。

その後も
大碓命オホウスは朝食に顔をださないので、天皇がヤマトタケルにどう諭したのかときくと、手足を引き千切ってバラバラにして、ムシロに包んで投げ捨てたと言った。
これが原因となってオウス(ヤマトタケル)は景行天皇に恐れられ、まだ15.16才なのに九州征伐へ部下もつけずに行かされた。
小碓王オウスは、叔母の
倭比売命ヤマトヒメのところに行って女性の衣装を分けてもらい、剣を忍ばせ旅立った。
熊曽建クマソタケルの宴会に美少女に変装して忍び込み、酔って油断したクマソタケルの兄を殺し、驚いた弟の後を追って弟も殺した。
このとき、クマソタケルの弟が殺される前に大和に並びもない武勇の人として「ヤマトタケル」と名乗ることを勧めた。

これ以降「ヤマトタケル」と名乗るようにななった。
それから
小碓王オウスは
倭建御子ヤマトタケルノミコと呼ばれるようになって大和へ帰る途中で山の神や、河の神や、海峡の神を従えた。
地方の聞き分けのない勢力を平定させた。
倭建御子(ヤマトタケルノミコ)となった
小碓王(オウス)は、「出雲の国」へと入り、出雲の勇者
出雲建(イズモタケル)を殺すため、偽って親友の誓いをむすんだ。
木で偽の刀を作り身につけて、二人で肥川に水浴びに行った。
けど水浴びから上がった時に、
出雲建(イズモタケル)の刀と自分の刀とを取り替えないかと言って、刀を交換してから、
倭建御子(ヤマトタケルノミコ)が太刀を合わせて勝負してみようと言った。
いざ勝負となったが偽物の刀を持っている
出雲建(イズモタケル)は刀が抜けなかった。
そこで倭建御子(ヤマトタケルノミコ)は、容赦なく刀を抜き、出雲建(イズモタケル)を切り殺してしまった。

倭建御子(ヤマトタケルノミコ)は出雲を平定して大和に戻って天皇に報告した。
地方統治の強化:景行天皇は、各地の豪族を平定し、大和朝廷の支配を全国に広げようとしました。
日本武尊ヤマトタケルの活躍:景行天皇の皇子である日本武尊は、蝦夷や熊襲などの征討を成し遂げ、大和朝廷の威光を内外に示しました。
国家統一への貢献:景行天皇の時代には、地方の有力豪族を従え、国家統一への基盤が築かれたとされています.
伝説的な征討:景行天皇自身も日向の熊襲征討に出かけたという伝説があり、また、日本武尊
ヤマトタケルによる蝦夷や熊襲征討の伝説も有名です.
皇子の育成:景行天皇は、日本武尊を始めとする多くの皇子を育て、彼らを地方統治や軍事活動に派遣しました.
景行天皇と日本武尊の関係:景行天皇は、日本武尊
ヤマトタケルの父であり、彼を非常に頼りにしていたとされています。日本武尊の活躍は、景行天皇の治世を語る上で欠かせない要素であり、大和朝廷の勢力拡大に大きく貢献しました.
その他:景行天皇の在位期間は、3世紀頃と推定されています。考古学的な研究からは、4世紀前半から中期の、大王(天皇)として実在した可能性が高いと考えられています。
景行天皇を祀る神社として、大宮神社(熊本県山鹿市)が挙げられます。この神社は、景行天皇が熊襲平定のために九州を巡幸された際に、山鹿に行宮を営まれたことが由来とされています。また、三峯神社(埼玉県秩父市)も、日本武尊が景行天皇の命を受けて東国平定に向かう途中に立ち寄り、伊弉諾尊と伊弉册尊を祀ったことが始まりとされています。
詳細:
大宮神社:景行天皇が熊襲平定の際に山鹿に立ち寄り、行宮を営んだことが創建の由来です.
毎年8月15日と16日には、例祭「山鹿燈籠まつり」が開催され、多くの参拝客で賑わいます.
境内には、燈籠殿や猿田彦大神石碑群など、見どころも多いです.
三峯神社:日本武尊が景行天皇の命で東国平定に向かう途中、三峯山に登り、伊弉諾尊と伊弉册尊を祀ったのが始まりです.
狼(山犬)が日本武尊を道案内したとされ、神様の使いとして一緒に祀られています.
明治の神仏分離令までは、寺院と神社が一体となっていましたが、現在は三峯神社として独立しています.
その他:
焼津神社(静岡県焼津市)も、景行天皇の皇子である日本武尊を祀っており、景行天皇との繋がりが深い神社です.
磐鹿六雁命を祀る
高家神社(千葉県鴨川市)も、景行天皇の時代に、磐鹿六雁命が料理の腕を天皇に賞賛されたことが由来とされています.
- 小碓王(オウス)・倭建御子(ヤマトタケルノミコ)=日本武尊(やまとたける)
- 大碓命(おおうすのみこと):第12代・景行天皇の皇子であり、日本武尊(小碓命)の兄
- 倭比売命(やまとひめのみこと)は、『古事記』に登場する皇女で、伊勢神宮創建に深く関わった人物です。 『日本書紀』では「倭姫命」と表記され、垂仁天皇の第四皇女であり、天照大神を伊勢の地に祀ったことで知られています。
- 熊曽建(くまそたける):南九州の豪族で、日本武尊(ヤマトタケル)によって討たれた。個人名ではなく「熊襲の勇者・首長」を意味する
- 出雲建(いずもたける):「出雲の勇者」「出雲の首長」を意味する称号的名称。出雲地方の豪族で、日本武尊(ヤマトタケル)に討たれた。
- 11代垂仁天皇(すいにん)
