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名所めぐりは過去に行ったことのある土地の紹介です。

どこへ行ったのか忘れてしまうので独遊庵の名所めぐり

神功皇后(じんぐうこうごう)第14代天皇仲哀天皇の皇后

夫の仲哀天皇の崩御から息子の応神天皇即位まで初めての摂政として、三韓征伐の実施など約70年間統治したとされる。
『日本書紀』編者が比定したとされる「魏志倭人伝」にあらわれる卑弥呼の生涯と時代が重なる部分がある。


・神功皇后
(じんぐうこうごう):鶴岡八幡宮気比神宮住吉大社忌宮神社住吉神社伊佐爾波神社筥崎宮香椎宮宝満宮竈門神社千栗八幡宮柞原八幡宮宇佐神宮藤崎八旛宮住吉神社・筑前國一之宮
別称
・息長足姫命(おきながたらしひめのみこと):佐良志奈神社淡島神社琴弾八幡宮
・息長足比売命(おきながたらしひめのみこと):宮地嶽神社
・息長帯比萌賣(おきながたらしひめ):石清水八幡宮
息長帯比売命 (おきながたらしひめのみこと) 鹿児島神宮
・息長帯姫命 (おきながたらしひめのみこと)
氣長足姫尊 (おきながたらしひめのみこと)
じんぐうこうごう
生まれ: 西暦169年
死去: 西暦269年, 京都府 京都市 100歳?
子女: 応神天皇
配偶者: 仲哀天皇
両親: 息長宿禰王、 葛城高顙媛
第14代仲哀天皇の后であり、ホンダワケ命(第15代応神天皇)の母親。

朝鮮半島の制圧を神より命じられたのにも関わらず無視して死んだ仲哀天皇に変わり、妊娠したままで朝鮮へ出兵し、その後出産したことから、聖母であり武芸の神として祀られる。

応神天皇
が八幡様と同一視されることから全国の八幡神社で、一緒に祀られていることが多い。
また三韓出兵(朝鮮への出兵)の際に関わった住吉三神宗像三女神と一緒に祀られることも多い。

夫である仲哀天皇が死後、ホンダワケ(応神天皇)を生んでいます。本来、ホンダワケ命は仲哀天皇の子供であるにも関わらず物語(古事記日本書紀)の中でも、神功皇后は神との間に子を作ったという聖母の扱いに変わり、応神天皇は神と人の子という扱いになります。
神功皇后(じんぐうこうごう)
応神天皇は長子ではなく、異母兄が何人かいることから、天皇の正当性を主張する意味もあったのでしょう。

仲哀天皇の死
九州南部の豪族、熊曾族(クマソ)を討伐しようとした際に、神功皇后が占いをすると、「西方に金銀豊かな国がある。そこを服属させて与えよう」と神託があった。ところが仲哀天皇はそれを信じず予定通りに熊曾族と戦争を始めたところ、急死した。

仲哀天皇をモガリの宮に収めて、もう一度占いをして神意を伺うと、「皇后の腹の御子が国を治めるべき」と神託があった。
神功皇后は神に名を尋ねると、「神託はアマテラス大神の意思、伝えるよう命じられたのは住吉三神(住吉の三前大神)である」と答えた。

14代仲哀天皇からの続き
葬儀の後、建内宿禰(タケウチノスクネ)が庭で神の言葉を求めたところ、神の言葉は、先日仲哀天皇が亡くなったときの言葉と同じものだった。
続けて、この国のすべては、腹の中の子供の治めるものだと言うので、建内宿禰(タケウチノスクネ)は后の腹に宿る御子は男か女かと問うと、男の御子だと答えた。
そして建内宿禰タケウチノスクネ)はさらに、今、教えてくれてる大神の名を教えてほしいととたずねた。
すると、アマテラス大神の御心で、底筒男(ソコツツノヲ)・中筒男(ナカツツノヲ)・上筒男(ウハツツノヲ)の三柱の神だと答えた。
神功皇后(じんぐうこうごう)
かの国を求めるのならば、天神、国神など神々に奉納し、私らの魂を船に祭り、真木(植物の名前)を焼いた灰をヒョウタンに入れて、箸と皿をたくさん作って、海に散らし浮かべて、海原を行くがよい」と告げた。

そこで皇后は神が教えた通りにして、兵士を集めて、軍船を並べて海を渡ろうとすると、大きなのも小さなのも魚達は皆軍船を背負って運んだ。
さらに追い風が吹いて、船はどんどんと進んだ。
この勢いのある船が立てる波が、新羅の国に津波となって、国の半分まで達した。
これで新羅の国王は恐ろしくなり、天皇の命令に従って馬飼いとなっても天地の続く限り、仕えると言った。
これにより新羅を馬飼いの国とし、百済は渡海の為の役所とした。

息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)皇后は杖を新羅の国王の宮殿の前に突きたてて、後の世のしるしとした。住吉三神の荒御魂(アラミタマ)を国を守る神として祭り、海を渡って帰った。

この皇后の新羅征伐が終わっていないというのに、腹の子(ホンダワケ=応神天皇)が生まれそうになった。皇后は、ひとまず石を腰に巻つけて出産を押さえ、九州の筑紫に渡ってから出産した。
(ホンダワケ=応神天皇)が生まれた土地を「宇美(ウミ)」と名づけ、その腰につけた石は筑紫の国、伊斗村にある。

筑紫の松浦県(マツラノアガタ)の玉島の里(タマシノサト)に到着して、川のほとりで食事をしたのが4月の上旬だった。川の中の岩に立って、腰布の糸を抜き、ご飯粒を餌にして、鮎を釣った。
それで4月上旬のころ、女性が腰布の糸を抜いて、ご飯粒を餌にして鮎を釣ることが、今に至るようになった。
息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)神功皇后が朝鮮出兵から大和へと帰ろうとしたとき、謀反の企ての噂があった。
そこで、棺を乗せた喪の船を用意して、御子をその船に乗せ、御子が亡くなったという噂をたてた。
斗賀野(トガノ)で香坂王(カゴサカノミコ)と忍熊王(オシクマノミコ)兄弟が皇后を殺そうと待ち伏せしていた。

誓約の誓いをして狩りをしたところ兄の香坂王(カゴサカノミコ)がクヌギの木に登って見ていると、怒り狂った大きな猪やってきて、クヌギを倒し、香坂王(カゴサカノミコ)を食い殺してしまった。

しかし弟の忍熊王(オシクマノミコ)は、兄の恐ろしい最期を見ても恐れる色もなく喪の船を迎えて攻撃した。
しかしその船は偽りの船で中から軍隊が出てきて、戦った。
忍熊王(オシクマノミコ)は後退していき、山城まで逃げたが、持ち直して、膠着状態になった。
謀をめぐらし建振熊命(タケフルクマノミコト)は「オキナガタラシヒメ(神功皇后)は、すでに亡くなりました。これ以上、戦う理由はない」と言って、弓のツルを切り、偽りの降伏した。
息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)すると敵方の将軍、伊佐比宿禰(イサヒノスクネ)はその嘘を信じて、弓のツルを外し、武器を収めた。
そこで、神功皇后の軍勢は、髪の中に隠しておいた紐を弓に張って、戦闘を再開し忍熊王(オシクマノミコ)の軍勢を追撃した。

逢坂(京都滋賀府県境)まで逃げて、反撃したけど神功皇后の軍勢に追い詰められ、沙々那美(ササナミ)で敗北した。
忍熊王(オシクマノミコ)と伊佐比宿禰(イサヒノスクネ)は追い詰められ、歌を詠んで海に身を投げて二人とも死んでしまった。

建内宿禰(タケウチノスクネ)は禊(みそぎ)をしようとホンダワケ(応神天皇)を連れて、越前の敦賀(ツルガ)に仮宮を建てて滞在していたけど、この土地の神「伊奢沙和気(イザサワケ)」が夢に出てきた。
伊奢沙和気(イザサワケ)が、自分の名前を御子(ホンダワケ)の名前に変えたいと言ったので、快諾すると、明日の朝、名を変えたお礼を差し上げるので浜にでなさいと言った。
翌朝、浜辺に行ってみると、鼻の傷ついたイルカが、集まっていたのでホンダワケ(応神天皇)は神より、食料の魚をたまわったと言った。
その神を御食津大神(ミケツオオカミ)と名づけたけど、現在では気比大神(ケヒノオオカミ)と言う。
神功皇后(じんぐうこうごう)イルカの鼻の傷から出た血が臭かったので、その浦を「血浦(ちうら)」と言うけど、なまっていって現在は「都奴賀(つぬが)」と言う。

応神天皇が大和に帰ってくると、神功皇后は酒を造って待っていて歌を歌い、お酒を献上して、祝いの宴会をした。

妊娠してから朝鮮半島に出向いた神功皇后は出産を遅らせるために、美しい石を腰につけて出産を遅らせるように祈ったところ、筑紫国に帰国してから出産できるほど遅らせることが出来た。
妊娠期間は15カ月。また石で産道を塞いで出産を遅らせたという表現もあります。また15カ月という妊娠期間は異常として、臣下である武内宿禰(タケノウチノスクネ)との子供ではないかとする説もあります.

神功皇后(じんぐうこうごう)九州に帰国後、8本の幟を立てたことから、八幡……八幡信仰が始まったという伝承がありますが、八幡様はそれ以前からあった地域の信仰とも言われています。

三韓征伐(新羅征伐):神功皇后は、夫の仲哀天皇の死後、摂政として、新羅遠征を指揮したとされています。この遠征は、武内宿禰などの補佐を受けながら行われたと伝えられています.
摂政としての政治:仲哀天皇の死後、応神天皇が即位するまでの間、摂政として約70年間、政治を執り行ったとされています.
応神天皇の出産:妊娠したまま新羅遠征を行い、帰国後に福岡県の宇美で応神天皇を出産したと伝えられています。この時、出産を遅らせるために「鎮懐石」を腰に巻いたという伝説も残っています.
神功皇后に関する伝説:
武内宿禰との関係:神功皇后を支えた武内宿禰は、神功皇后が新羅征伐の神託を乞うた際に審神者になったと伝えられています.
香椎宮と新羅征伐:香椎宮は、神功皇后が新羅征伐の神託を受けた場所とされ、皇后が新羅征伐の際に乗った船をつないだとされる巨岩や、出産を遅らせるために巻いたとされる鎮懐石が祀られています.
嬉野温泉:皇后が外征の帰途に発見したとされ、地名の由来にもなったという伝説が残っています.
石清水八幡宮:
応神天皇と神功皇后を祀る神社で、都の守護社として崇敬されています.

神功皇后を祀る主な神社
宇美八幡宮(福岡県)応神天皇(誉田別命)を出産した地として、安産祈願の神社として有名です。また、必勝祈願や商売繁盛を願う参拝者も多いです.
住吉大社(大阪府):神功皇后が三韓征伐の際に住吉大神の加護を受けたことから、航海安全の神として信仰されています。全国の住吉神社の総本社でもあります.
香椎宮(福岡県):神功皇后が新羅征討の神託を受けた場所とされ、神功皇后を祀る神社として知られています.
御香宮神社(京都府):神功皇后を主祭神として祀り、安産守護の神として信仰されています.
六手八幡神社(広島県):息長帯姫命(神功皇后)を祀り、安産、航海安全、武運長久の神として信仰されています

関連

  • 香坂王(かごさかのおう)は、『古事記』に登場する仲哀天皇の皇子で、『日本書紀』では 麛坂皇子(かごさかのみこ/麛坂王) と表記されます。仲哀天皇の死後の皇位継承争いで、弟の忍熊王とともに 神功皇后・応神天皇勢力と対立。
  • 忍熊王(おしくまのみこ)は、仲哀天皇の皇子であり、仲哀天皇の死後、神功皇后が筑紫で応神天皇を出産したことを知り、兄の麛坂皇子(香坂王)とともに皇位継承をめぐって神功皇后・応神天皇勢力と対立
  • 建振熊命(たけふるくまのみこと/建振熊宿禰)別名は難波根子建振熊命(なにわのねこたけふるくまのみこと) :忍熊王(おしくまのみこ)・香坂王(かごさかのみこ)
    の反乱を鎮圧するために派遣された将軍
  • 伊佐比宿禰(いさび/いさひ/いさちのすくね)は香坂王・忍熊王側につき、神功皇后・応神天皇と戦った将軍。琵琶湖へ船で逃れ、湖上で忍熊王とともに入水自殺
  • 伊奢沙和気大神之命(いざさわけのおおかみのみこと)は、越前・敦賀(つるが)に鎮座する気比大神(けひのおおかみ)として知られる神
  • 鶴岡八幡宮・神奈川県
  • 佐良志奈神社・長野県
  • 気比神宮・福井県
  • 櫻山八幡宮・岐阜県
  • 淡島神社・和歌山県
  • 石清水八幡宮・京都府
  • 住吉大社・大阪府
  • 忌宮神社・山口県
  • 長門国一宮 住吉神社・山口県 三大住吉
  • 伊佐爾波神社・愛媛県
  • 琴弾八幡宮・香川県
  • 筑前國一之宮 筥崎宮・福岡県
  • 宮地嶽神社・福岡県
  • 香椎宮・福岡県
  • 宝満宮竈門神社・福岡県
  • 千栗八幡宮・佐賀県
  • 柞原八幡宮・大分県
  • 宇佐神宮・大分県