薩摩国一宮 国幣中社
神亀山(高さ70メートル)の山頂にあり、ニニギノミコトをまつる神社です。 かつて、薩摩国一の宮として呼ばれた風格を今でも残しています。
本祀一座:
天津日高彦火瓊瓊杵尊(あまつひだかひこほのににぎのみこと)=ニニギノミコト
配祀二座:
天照皇大御神(あまてらすすめおおみかみ)
正哉吾勝々速日天忍穂耳尊(まさかあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)
創建: 伝神亀2年(725年)
御神徳:開運招福、五穀豊穣、安産守護、交通安全
境内の見どころ
• 322段の石段:山頂の社殿へ続く参道
• 子抱き狛犬:安産祈願で人気
• 御神木のクス:参道中腹に大樹が茂る
*新田神社
「古い言い伝えによりますと、遠い神代の昔、高天原(たかまのはら)にいらっしゃいました太陽の神様アマテラス大神様が孫にあたるニニギノミコト様に私たちの住んでいる地上の世界を治めるようにお命じになりました。
その時に稲穂をいっしょにお持ちしてお米をつくるようにおっしゃいました。
そこでニニギノミコト様はたくさんの神様をおつれになり今の鹿児島県の霧島にあります高千穂(たかちほ)峯におりられました。『天孫降臨(てんそんこうりん)』
そこではじめてお米をお作りになり、続いて同じく今の鹿児島県の南さつま市にあたる笠狭宮(かささのみや)にうつられ、山の神様の娘であり大変美しいコノハナサクヤヒメ様と結婚されてその後、海路東シナ海を北上されて川内の地にこられました。
川内にお着きになられたニニギノミコト様は、この地に立派な高殿を築いてお住まいになりました。川内(せんだい)の名はこの「千台」からきています。
やがてニニギノミコト様はおなくなりになられて、お墓がつくられました。
これが今の「可愛山陵(えのみささぎ)」です。そしてそのニニギノミコト様をおまつりするようになったのが新田神社のはじまりといわれています。
もともとは社殿がなくお山そのものが神社であったとも伝えられ、新田神社の「新田」という名前には、ニニギノミコト様が川内の地に川内川から水を引いて新しく田んぼをおつくりになったという意味がこめられています。」