天照大御神の血を引く正統な天皇として、日本の皇室の祖
・神倭伊波禮毘古命(かむやまといわれひこのみこと):
開成山大神宮
・神倭磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと):霧島神宮
・神日本磐余彦火火出見天(かむやまといわれひこほほでみのすめらみこと):
橿原神宮
・神日本磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと):
玉置神社
・神日本磐余彦天皇(かむやまといわれひこのすめらみこと):
宮崎神宮
・神日本磐余彦尊(かむやまといわれびこのみこと)
生まれ: 紀元前711年2月13日, 九州
死去: 神武天皇76年3月11日(新暦:紀元前585年4月9日)(127歳没), 御在位76年、実に127歳(※)の御長寿 137歳とも
埋葬地: 奈良県 橿原市 神武天皇陵(四条ミサンザイ古墳)
母親:
玉依姫
父親: 彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(
アエズ)
皇后:
媛蹈鞴五十鈴媛命
子女: 綏靖天皇、 神八井耳命、 手研耳命、 岐須美美命、 日子八井命
神武天皇は身長が3m以上あり、頭に9cmほどの角があり長い尾も生えている?。または、長い髪を左右に分け、両耳のところで束ね(みずら)、首元には勾玉のネックレス。顔つきは凛々しく、豊かな口髭と顎髭を蓄える。白くゆったりとした上着は腰もとの帯で締められ、袴も膝下あたりで上から紐でくくられている。
そして腰に太刀を佩はき、背中に矢筒(靭(ゆぎ))を背負い、片手には長い弓。そして弓の先には金鵄(きんし)が輝いている。

天照大神〈あまてらすおおみかみ〉の五代目にあたる神武天皇は、互いに争うことのない、永遠に困窮しない国を実現するため、九州の日向国〈ひむかのくに〉 高千穂から、国の中心地を目指し東へ向かいます。
東遷〈とうせん〉の道中、豪族との争いや、相次ぐ兄弟達の不幸等、想像を絶する困難に遭いながらも、国内を平定され、ついに畝傍山〈うねびやま〉の東南 橿原宮〈かしはらのみや〉で第一代天皇として即位された。
アエズの子、神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレヒコ)=神武天皇は、兄の
五瀬命(イツセノミコト)と高千穂の宮で相談し、日向の地は端なので東の地で政治を行おうと日向を出て、まずは筑紫(福岡)に移った。
ここからの大和までの大移動を神武東征と言う。

豊国の宇佐に着いたとき、そこに住む
宇沙都比古(ウサツヒコ)と
宇沙都比売(ウサツヒメ)という兄妹が
足一騰宮(あしひとつあがりのみや)を造ってごちそうになった。
そこから筑紫(福岡)の岡田宮(おかだのみや)で1年ほどいて、さらに阿岐国(今の広島県)の多祁理宮(たけりのみや)で7年。吉備国(今の岡山県)の高島宮で8年ほどいた。
速吸門(ハヤスイノト)で、亀の背中に乗って釣りをしていた国神を仕えさせることにし、
槁根津日子(サオネツヒコ)という名前を授けた。

更に上って、浪速国の白肩津に着くと、スネの長い男、
登美能那賀須泥毘古(トミノナガスネビコ)の軍隊が戦いを挑んで来た。
登美能那賀須泥毘古(トミノナガスネビコ)と戦っているときに、兄の
五瀬命(イツセノミコト)は矢を手に受けて深い傷を負った。
兄は「私たちは日の神の子なのに太陽に向かって戦ったのがいけなかった。迂回して太陽を背にして敵と戦おう」と言った。
兄の言った通り紀伊半島沿いに船で下り、熊野で上陸して、南から大和に攻めのぼることにしたが、大阪府泉南市まで来たとき、傷が悪化して
五瀬命(イツセノミコト)が「なんてつまらぬヤツの手にかかって私は死ななければならないのか」と大声で嘆いて息絶えた。

この雄叫びゆえに男之水門(おのみなと)と呼ばれることになった。
神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレヒコ)が悲しみを乗り越え、熊野村まで来たとき、大きな熊がでてきてその毒気にやられみんな正気を失ってしまった。
すると
高倉下(タカクラジ)という地元の男が一振りの大太刀をもってきて、神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレヒコ)に献上した。これで神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレヒコ)は正気を取り戻した。
この太刀は
天照大神(アマテラス)とタカギ(
高御産巣日神(タカミムスヒ)のこと)の二人が神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレヒコ)の窮地を救うために
建御雷之男神(タケミカヅチ)に命じて
高倉下(タカクラジ)に持たせ、天つ神に献上するよう指示したものだった。
さらにタカギは、熊野の先には反抗する神がたくさんいるからと、案内役に
八咫烏(ヤタガラス)を送ってきた。
八咫烏の後を追っていくと、吉野川の下流で魚をとる人間がいた。更に進むと井戸から尻尾のある神が現れた。
山に入るとまたもや尻尾のある人間がいたが、全員神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレヒコ)に忠誠を誓うために参上した国神だった。

宇陀(奈良県北東部)に
兄宇迦斯(エ・ウカシ)と
弟宇迦斯(オト・ウカシ)という兄弟がいた。
その兄弟に八咫烏(ヤタガラス)が神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレヒコ)に仕えるかどうか聞くと兄は矢を放って追い払ったが、悪知恵を働かせて一旦従う姿勢を見せて、欺き罠をしかけた御殿を作って、神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレヒコ)の暗殺をたくらんだ。
ところが、弟は神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレヒコ)に兄の裏切りを知らせた。
そこで
道臣命(ミチノオミノミコト)と
大久米命(おおくめのみこと)は
兄宇迦斯(エ・ウカシ)を呼び出し、自分の作った罠に追い込み、死んだ兄を切り刻んだ。
一行は奈良盆地に入り忍坂(おさか)=桜井市の大きな洞窟に到着すると土雲(つちぐも)と呼ばれる原住民が80人程待っていた。
神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレヒコ)は彼らを油断させるため、全員分の食事を用意した。
大勢の土雲(つちぐも)と同じ数の膳の係を用意し、各料理人に刀をしのばせ歌の合図で一斉に斬りかかった。そして一人残らず切り殺した。

ここに
邇芸速日命(にぎはやひのみこと)が神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレヒコ)のもとにやってきた。
邇芸速日命(にぎはやひのみこと)は、高天原の天つ神の御子が地上に降り立ったと聞き追って天から降りてきたと話した。
そして天つ神の印である宝物を献上し、仕えた。
邇芸速日命(にぎはやひのみこと)は
登美能那賀須泥毘古(トミノナガスネビコ)の妹の登美夜毘売(トミヤビメ)を妻として
宇麻志麻遅命(ウマシマジノミコト)を生んだ。
神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレヒコ)は荒々しい神たちを説得して服従させ、反抗する者どもを打ち負かして奈良の畝火(うねび)の橿原宮(かしはらのみや)に住んで初代天皇である神武天皇となり天下を治めた。

天皇になる前に結婚していたイワレビコ神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレヒコ)がまだ日向(宮崎)にいたときに、阿多(鹿児島)で
阿比良比売(アヒラヒメ)と結ばれ多芸志美美命(タギシミミノミコト)と岐須美美命(キスミミノミコト)の二名を生んだが、大和(奈良)で天下を治めるために正妻を求めていた。
大久米命(おおくめのみこと)が、奈良県三輪山に神の
大物主神(オオモノヌシ)と
勢夜陀多良比売(セヤダタラヒメ)(三嶋湟咋の娘)の子
比売多多良伊須気余理比売(ヒメタタライスケヨリヒメ)という乙女を見つけてきた。
大物主神(オオモノヌシ)は
大国主と同一神とされていて、勢夜陀多良比売(セヤダタラヒメ)に一目惚れしたので勢夜陀多良比売(セヤダタラヒメ)が川の上の厠へ入ったときに、「丹塗矢」という赤い矢になって陰部を突いた。勢夜陀多良比売(セヤダタラヒメ)はびっくりして陰部にささった「丹塗矢」を持って帰り、寝室に置いておいたら、その矢がうるわしい男になった。それで産まれたのが
比売多多良伊須気余理比売(ヒメタタライスケヨリヒメ)だった。
富登多多良伊須須岐比売命(ホトタタライススキヒメ)という名前が嫌で改名したが、なぜかと言うとこの「富登(ホト)」には陰部という意味があるのでそれを嫌って改名した。

高佐士野で7人の乙女が遊んでいた、その中に
伊須気余理比売(イスケヨリヒメ)がいたので歌を詠んで口説き落とし結婚した。
そこで産まれたのが
・日子八井命(ヒコヤイノミコト)・神八井耳命(カムヤイミミノミコト)・
神沼河耳命(カムヌナカハミミノミコト)の三柱。
神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレヒコ)がなくなった後、
多芸志美美命(タギシミミノミコト)は
伊須気余理比売(イスケヨリヒメ)を妻にした。
多芸志美美命(タギシミミノミコト)は
伊須気余理比売(イスケヨリヒメ)の三人の息子を亡き者にしようと画策していたので伊須気余理比売(イスケヨリヒメ)は三人の息子に歌でそれを知らせた。
歌を聞いた三兄弟は、多芸志美美命(タギシミミノミコト)を殺そうとしたけど、神八井耳命(カムヤイミミノミコト)は震えて殺せなかったので、三男の
神沼河耳命(カムヌナカハミミノミコト)が殺した。その勇気をたたえて建沼河耳命(タケヌナカハミミノミコト)と呼ばれるようになった。
こうして建沼河耳命(タケヌナカハミミノミコト)( 綏靖(すいぜい)天皇)は天下を治めた。
東征:神武天皇は、日向から東へ向かい、大和の地を平定したと伝えられています。
橿原宮:神武天皇が即位した場所。現在の奈良県橿原市にあります。
建国:神武天皇の即位をもって、日本という国が建国されたとされています。
実在性:神武天皇の実在性については、歴史学者の間で議論があります。
神話的要素:神武天皇の物語には、神話的な要素も含まれています。
神武天皇の東征:神武天皇は、宮崎から瀬戸内海を通り、現在の大阪の難波に上陸しました。しかし、地元の豪族である長髄彦に阻まれ、一旦は熊野に退きます。その後、
八咫烏(やたがらす)の導きで吉野を通り、大和に入り、長髄彦を倒して大和を平定したと伝えられています。
神武天皇陵:神武天皇陵は、奈良県橿原市にある天皇陵です。神武天皇の遺骸が埋葬されているとされています。
- 玉依姫(タマヨリヒメ)母
- 高倉下(たかくらじ)
- 五瀬命は「古事記」、「日本書記」によると、天孫降臨した瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の孫である鸕鶿草葺不合命(ウガフキアエズノミコト)と海神の娘の玉依姫(タマヨリヒメ)との間に生まれた四人の子どもの長男。 弟が神日本磐余彦命(カムヤマトイワレビコノミコト、後の神武天皇)。
- 足一騰宮(あしひとつあがりのみや)は、神武天皇東征の際に宇佐の地で建てられた仮宮で、宇佐津彦・宇佐津姫による饗応の場として伝承される神話的聖地です。現在は大分県宇佐市の妻垣神社など複数の候補地が伝えられています。
- 宇沙都比古(うさつひこ)とは、宇佐国造(うさこくぞう)の祖であり、神武天皇が宇佐に立ち寄った際に、妹の宇沙都比売(うさつひめ)と共に一足で上れる宮殿(一足騰宮)を設けて天皇家一行をもてなした、古代の豪族・宇佐氏の指導者です。『古事記』では宇沙都比古、『日本書紀』では菟狭津彦(うさつひこ)と記され、神武東征(神武天皇の東征)における宇佐の地の有力者として登場します。
- 宇佐都比売(うさつひめ)は、『古事記』に登場する、神武天皇の東征の際に豊国宇佐(大分県宇佐市)で神武天皇を出迎えた「菟狭津媛(うさつひめ)」のことです。宇佐津彦(うさつひこ)の妹であり、宇佐の国造(くにのみやつこ)の祖とされる人物で、神武天皇一行をもてなした「一足騰宮(あしひとつあがりのみや)」という簡単な宮殿を造営したとされています。
- 槁根津日子(かるねつひこ/かりねつひこ)は、神武東征において登場する倭国造の祖、または大倭国造、大倭直の始祖。珍彦あるいは宇豆彦。神知津彦とも。
- 登美能那賀須泥毘古(とみのながすねびこ)は、『古事記』では登美毘古(とみびこ)とも表記され、神武天皇の東征に抵抗した大和の土豪(豪族)です。『日本書紀』では長髄彦(ながすねびこ)と記述され、神武天皇の軍を退け、兄の五瀬命が矢傷を負い、この地が長くなるといった逸話が語られています。
- 八咫烏(やたがらす)は、三本足の霊鳥で、神武天皇の東征を導いた「導きの神」とされています。熊野から大和への道案内をした存在で、太陽の化身とも信じられています。
- 宇麻志麻遅命(うましまぢのみこと)は、物部氏・穂積氏・采女氏などの祖とされる神で、饒速日命(ニギハヤヒ)の子。神武天皇の東征時に長髄彦を討ち降伏させ、饒速日命の遺した「天璽瑞宝」を献上して鎮魂の呪術を行ったとされ、神武天皇に仕えた軍神としても知られ、『日本書紀』では可美真手命(うましまでのみこと)とも表記
- 兄宇迦斯(エ・ウカシ)と弟宇迦斯(オト・ウカシ)大和国(奈良県)の宇陀(うだ)の豪族
- 道臣命(みちのおみのみこと)は、記紀に登場する古代日本の人物。初名は日臣命(ひのおみのみこと)。天忍日命(あまのおしひのみこと)の後裔で大伴氏の祖。
- 大久米命(おおくめ の みこと)とは、『記紀』等に伝わる古代日本の人物。 久米直(くめのあたい)の祖として伝えられている豪族。
- 邇芸速日命(にぎはやひのみこと)は、日本神話に登場する神で、天照大御神の孫にあたり、天の磐船に乗って大和国(現在の奈良県)に降り立った神です。物部氏の祖神とされ、神武天皇の東征の際には、自らも天つ神の子孫であることを証明する「十種の神宝」を掲げて長髄彦の抵抗を止め、神武天皇に服従しました。また、「ソラミツヤマトノクニ」(空見つ日本国)という言葉の始まりとされています。
- 長髄彦(ながすねひこ)は、『古事記』『日本書紀』に登場する豪族で、神武天皇の東征において最も重要な敵対者の一人です。大和国の有力者として神武軍を迎え撃ち、邇芸速日命を迎え入れて勢力を拡大しましたが、最終的に敗北しました。
- 阿比良比売(あひらひめ)は『古事記』に登場する神武天皇の最初の妃で、日向国吾田邑の女性とされます。『日本書紀』では「吾平津媛(あひらつひめ)」と記され、神武との間に多芸志美美命・岐須美美命を生んだ母です。
- 勢夜陀多良比売(せやだたらひめ)は、『古事記』に登場する神武天皇の皇后・媛蹈鞴五十鈴媛命の母であり、三輪山の大物主神との神婚譚に深く関わる女性神です。丹塗矢に化した大物主神が彼女に通い、神武天皇の皇后となる娘を生んだと伝えられています。
- 神沼河耳命(かむぬなかわみみのみこと)は、神武天皇の皇子であり、第2代天皇・綏靖天皇(すいぜい)のことを指します。『古事記』では「神渟名川耳命」、『日本書紀』では「神沼河耳命」と記されます。
- 多芸志美美命(たぎしみみのみこと)は、神武天皇の長子でありながら、父の崩御後に皇位を狙って異母弟たちを殺そうと企て、逆に討たれた人物です。『古事記』では「多芸志美美命」、『日本書紀』では「手研耳命」と記されています。
-
開成山大神宮・福島県
- 橿原神宮・奈良県
- 玉置神社・奈良県
- 宮崎神宮・宮崎県
