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名所めぐりは過去に行ったことのある土地の紹介です。

どこへ行ったのか忘れてしまうので独遊庵の名所めぐり

安康天皇(あんこうてんのう)20代天皇

暗殺されたと明確に記された最初の天皇である。


生まれ: 西暦401年
両親: 允恭天皇、 忍坂大中姫
暗殺: 西暦456年9月24日
パートナー: 中磯皇女
祖父母: 仁徳天皇、 磐之媛命、 稚野毛二派皇子
曽祖父母: 応神天皇、 葛城襲津彦、 仲姫命

允恭(インギョウ)天皇の息子の穴穂御子(アナホノミコ)こと 20代 安康天皇は石上穴穂宮(イソノカミノアナホノミヤ)今の奈良県天理市田町にて、天下を治めた。

安康天皇は、実の弟大長谷王子(オオハツセノミコ=後の雄略天皇)と仁徳天皇の娘若日下王(ワカクサカノミコ)を結婚させようと思い、仁徳天皇の息子大日下王(オオクサカノミコ)の元へ根臣(ネノオミ)を派遣して、妹を宮廷にこさせるよう伝えた。

大日下王(オオクサカノミコ)もいつかこんな日が来ると思って、妹を大事に手元に置いておりましたと、妹に押木の玉鬘(オシキノタマカズラ)という髪飾りを添えて送り出したが、根臣(ネノオミ)が髪飾りを盗み取って、嘘の報告を天皇にした。

大日下王(オオクサカノミコ)が天皇の命令を鼻であしらい、妹を同族敷物同然くれてやれるかと太刀を掴んで怒っていた」と聞いた天皇は怒り狂って大日下王(オオクサカノミコ)を殺し、その妻の長田大郎女(ナガタノオオイラツメ)を自分の妻にした。
安康天皇
その後、安康天皇が神殿で昼寝をしていたとき、妻の長田大郎女(ナガタノオオイラツメ)に「連れ子の目弱王(マヨワノミコ)が成人して父親を殺したのが、自分だと知ったら反逆する心を持つのではないか」と心配事を話していたところを、神床の下で遊んでいた目弱王(マヨワノミコ)は、この話をしっかり聞いてしまった。

目弱王(マヨワノキミ)はまだ7歳だったけど、天皇が眠っているときに天皇の首を切り、都夫良意富美(ツブラオオミ)の家に逃げこんだ。
このとき安康天皇は56歳だった。

安康天皇の実の弟、大長谷王子(オオハツセノミコ)のちの雄略天皇は当時まだ少年だった。
安康天皇殺害のことを聞き嘆き怒り、兄の黒日子王(クロヒコノミコ)の元へと行って天皇が殺されたがどうするつもりかと言ったけど、兄は驚きもせず態度も曖昧だったので大長谷王子(オオハツセノミコ)は、こんな一大事に頼りにならい兄を罵り、斬り殺した。

もうひとりの兄白日子王(シロヒコノミコ)のところでも同じように訴えたけど黒日子王(クロヒコノミコ)と同じ態度だったのでこちらも、小治田(オワリダ=奈良県高市郡明日香村)まで引きずり、穴を掘って立ったまま埋めると、白日子王(シロヒコノミコ)は腰まで埋められたときに両方の目が飛び出でて死んでしまった。
第20代天皇
大長谷王子(オオハツセノミコ)は、目弱王(マヨワノキミ)が逃げ込んだ家臣の都夫良意富美(ツブラオオミ)の屋敷を取り囲み一戦を交えた。
そこで、自分が約束を言い交わした乙女はこの家の中にいるのかと聞いた。

都夫良意富美(ツブラオオミ)は、門の外に出ると八度礼拝した。
自分の娘である訶良比売(カラヒメ)を大長谷王子(オオハツセノミコ)のちの雄略天皇に仕えさせるよう献上すると言った。
だが、自分を頼りにしてくれている王子(=目弱王(マヨワノキミ))を見捨てることもできないと言い、戦いは続いた。

やがて都夫良意富美(ツブラオオミ)の矢が尽きたので、王子にどうするか聞くとこれ以上はどうしようもないので自分を殺せといった。
都夫良意富美(ツブラオオミ)は王子を殺し、返す刀で自分の首を切って死んだ。

この後のこと、韓帒(カラフクロ)という男が淡海の久多綿之蚊屋野(クタワタノカヤノ=)には猪鹿がたくさんいると教えてくれた。
そこで、大長谷王子(オオハツセノミコ=後の雄略天皇)は履中天皇の息子である忍歯王(オシハノミコ)と一緒に淡海に行き、各々で違う仮の御殿を作って宿にした。
あんこうてんのう翌朝、まだ日が出ていない時間帯に、忍歯王(オシハノミコ)は大長谷王(オオハツセノミコ)の仮宮に行って、まだ起きてないのか、早く狩りに行こう伴のものに言いのこし馬で出ていった。

仕える者たちは、忍歯王(オシハノミコ)は変なことをいうので気をつけたほうがいいと言い、大長谷王(オオハツセノミコ)に鎧を着るよういった。
大長谷王(オオハツセノミコ)は馬で追いつくと、いきなり弓で忍歯王(オシハノミコ)を射殺し、さらに体を切り地面と同じ高さに埋めてしまった。

殺された忍歯王(オシハノミコ)の息子たち意祁王(オケノキミ)・袁祁王(ヲケノキミ)兄弟はこの事件を耳にし恐ろしくなり逃れた。
山代の苅羽井(カリハイ)に着いて乾飯(ホシイイ)を食べていると目の縁に刺青のある老人が乾飯を奪い取った。その老人は山代の猪甘(ヤマシロのイカイ)だと名乗った。
兄弟は更に逃げ、玖須婆の河を渡り、播磨に着き、志自牟(シジム)の家に入馬飼牛として身を隠して使われた。

系譜:允恭天皇の皇子であり、母は皇后の忍坂大皇后とされています。
皇太子との関係:記紀(古事記、日本書紀)によれば、安康天皇は兄である木梨軽皇子が同母妹の軽大郎皇女と不義を働いたため、皇太子を廃嫡し、自らが皇位を継承したと伝えられています。
暗殺:記紀によれば、安康天皇は眉輪王によって暗殺されたとされています。眉輪王の父である大草香皇子を、安康天皇の母である皇后が寵愛していたため、その復讐として殺害されたと伝えられています。
陵墓:安康天皇の陵墓は、宮内庁のウェブサイトによると、奈良県にある菅原伏見西陵(すがわらのふしみのにしのみささぎ)とされています。
倭の五王:「宋書」倭国伝に登場する倭の五王の一人、興であると考えられています。
安康天皇は、在位期間は短かったものの、皇位継承や暗殺事件など、波乱に満ちた生涯を送った天皇として知られています

関連

  • 19代允恭天皇
  • 21代雄略天皇(ゆうりゃく)
  • 若日下王(わかくさのみこ)は皇位継承争いの渦中に巻き込まれた悲劇の皇女。大日下王の妹
  • 大日下王(おおくさかのおう)は、仁徳天皇の皇子で、大草香皇子(おおくさかのみこ)とも呼ばれ、後の雄略天皇の時代に悲劇的な最期を遂げた人物です。
  • 根臣(ね の おみ)とは、豪族「根使主(ね の おみ)」のことで、坂本臣(さかもとのおみ)の祖にあたり、雄略天皇の時代に重要な役割を果たした人物です。彼は大草香皇子(おおくさかのみこ)のもとへ、安康天皇の命で皇女を迎えに行く使者となり、その際の大草香皇子の対応が後の(大草香皇子殺害事件に繋がる物語の一端を担いました。
  • 長田大郎女(ながたのおおいらつめ)はまず、仁徳天皇の皇子 大草香皇子 の妃となり、眉輪王(まよわのおう) を生みます。しかし、根使主(ねのおみ)の讒言により、大草香皇子は 安康天皇に誅殺 されます。夫を殺した安康天皇は、そのまま長田大郎女を 皇后として奪い取ります。しかし、長田大郎女の息子 眉輪王 は、実父・大草香皇子を殺したのが安康天皇であると知り、母の膝枕で眠っていた安康天皇を 刺殺 します。
  • 眉輪王(まよわのおおきみ/まゆわおう=目弱王)は、安康天皇暗殺事件の中心人物。父が安康天皇に殺された事実を知り、復讐として天皇を刺殺する
  • 都夫良意富美(つぶらのおほみ)は、葛城円(かつらぎのつぶら)という人物で、雄略天皇(大長谷王)の時代の有力豪族の重臣であり、雄略天皇の妃となる韓比売(からひめ)の父です。安康天皇を殺した眉輪王(めよわのみこ)を匿ったため、雄略天皇に攻められ、激しい戦いの末に焼き殺された
  • 黒日子王境之黒日子王)(くろひこのみこ)は安康天皇が目弱王(眉輪王)に殺害されたとき、大長谷王子(後の雄略天皇)は兄の黒日子王のもとへ走り、「兄上、天皇が殺されました」と告げます。しかし黒日子王は驚きもせず、煮え切らない態度を示したため、大長谷王子は激怒し、その場で黒日子王を斬り殺した。
  • 白日子王(しらひこのみこ/しろひこのみこ)は兄の境之黒日子王とともに、雄略天皇(大長谷王)によって殺害された悲劇の皇子
  • 訶良比売(からひめ)(韓比売とも)は清寧天皇(白髪武広国押稚日本根子天皇)の母
  • 忍歯王(おしはのみこ)は、市辺押磐皇子(いちのへのおしはのみこ)の別名で、履中天皇の第一皇子であり、雄略天皇(大長谷王子)に殺害された。彼は、安康天皇の死後、大長谷王子(雄略天皇)と共に狩りに出かけた際に謀殺され、その悲劇的な死と、遺児たちが後に仁賢天皇・顕宗天皇となる