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名所めぐりは過去に行ったことのある土地の紹介です。

どこへ行ったのか忘れてしまうので独遊庵の名所めぐり

猿田神社千葉県銚子市猿田町1677

江戸初期の古文書には、芝台というところに老翁が忽然と現れ、三日三夜アヤシキヒカリを放った後、行方がわからなくなり、民が託宣を行うと、「吾は是れ猿田彦大神なり」と名のり、この地において民を護るという神託があったことが記されています。現在境内地は昔の半分以下となっている為、小字「芝台」の土地より東方百五十メートルの地(境内の西端)に、大神降臨の地として元宮が建てられています。
平安時代後期崇徳(すとく)天皇の御世に、祭祀に関わる官人であった宮司家の先祖が、都から下向し猿田左近と名のり初代神主(大中臣を姓とする)となりました。そして大治(だいじ)二年(1127)に、芝台の地から現在の社殿の地に、猿田彦大神をお遷しいたしました。
以降、名字は猿田、石毛(いしも)、海上、石毛、猿田と時代により変わりましたが、一軒の社家で祭祀を継承してきました。
鎌倉、平安時代、この下総国は、千葉氏が守護となりその一族が各地を統治しました。千葉県東部を統治した一族の海上氏の本拠地が、当社の東方約四キロにあり、海上氏をはじめとする千葉氏一族の崇敬をうけました。ただこのことから、永禄九年(1566)と天正三年(1575)、安房、上総国を支配していた里見氏が下総に侵攻してきた時、社殿を焼かれるということもありました。

猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)天鈿目命(あまのうずめのみこと)菊理媛命(くりひめのみこと)が祀られ、創建以来、源頼朝をはじめ、各時代の名だたる武将の戦勝祈願の場となりました。
創建: 垂垂仁天皇25年(西暦紀元前5年)の申の日に、芝台なる地で老翁が現れ「我は猿田彦大神であり、民を守るために降臨した」との神託があったとされます。
社格等: 無格社
ご利益は、みちひらき、開運、事業・人生の開拓、交通安全、方位除け、縁結び、所願成就など

 

猿田神社

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